2022年7月25日 マヤ暦の"時間を外した日" オーラソーマのワークで家系図を作った、その時の感想が出てきたので、覚書きとしてここに載せておきます。
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糸掛け曼荼羅を作った時のことが被る。
数字、数字で作っていく仕事を進めると色の模様が出来てきて。
紙の上に出来たその模様は、一人ひとりのパーソナリティ。
関係で繋がっているその網目に、流れを見つける、その見つけている自分の視座。
神様が私たちを見る目線寄りに少し高い場所から俯瞰したら見える模様。
天から降りるロープに吊るされて自分を見る、網目の中にいる自分を。
自分の数字と自分の色が表しているイメージがこれまでの記憶に結びつくのを見る。
小さかった自分が大人になるまで。繋がって関係性を広げてきたことを見る。
その模様で見れば、誰もが等しい存在。落ちる目の鱗。
自分の内側から見て影響力の強い存在を大きく感じていた。存在の遠近感。近い人を大きく、遠い人を小さく。
ところが、図で俯瞰して見る一人ひとりは同量の質量で、個別の数字と色で内包した豊かさを瞬かせているだけ。
遠くに同じ質を持っている人がいる。
その響きに安堵する。
繋がり流れ受取り伝え求め与えて。
フラクタルのパターンが無限に広がる。
赤ちゃんが胎内記憶を持ってて「ママを選んで生まれてきたんだよ」と言うって話があって、母親にとったらその話は最上級のロマンスで王冠で手放したくない話なんだけど、でも「ホンマに?」と思うのは、「ママだけ見て決めて来たって、大丈夫かな?その〜家の事情だとか人間関係だとか背負わざるを得ない運命ってあるのに確認しないで来た訳?」という疑問が拭えず。
なので胎内記憶はロマンスとして大事に置いといて、別腹で、この繋がり流れる網目のネットが受け止めるその場所に吸い寄せられるように、それとも、赤ちゃん自身がそのポイントを目指してして、
落ちてくる、そんなイメージが湧いたのだ。
居るべき場所に導かれた、という信頼心は自分がいる場所を天国にする。
間違いなく自分でここを選んだという確信は、大いなる安心感。
網目のネットは大いなる安心感そのもの。
大いなる安心感の網目の器の中で、葛藤し、苦しみと向き合い、喜怒哀楽を味わって生を全うする。
そうして生を終えた人の、数字と色の瞬き、この世にいなくなっても残る繋がりの感触。
こどもの私が心の奥に沈めていた親戚を怖がった気持ち。それは、比較されることへのこわばり。
似ているから違いが目立つ。違いに後ろめたさの色がつく。
こわばりと劣等感と罪悪感の震え。
恐れに感電してしまったショックに癒しを施していく。数字と色の宝石が働いてくれるに違いない。
地平線から見た遠近感、自分を異質に固定した視界を、俯瞰に変えれば、誰もが等しく個別で、一人ひとりが宝石のようだ。それぞれが異質で、異質さが美なのだ。